2016年10月下旬の平穏

◯近況:平穏について

社会人として、時間を思うままに使えるようになった自分は仕事にある程度打ち込み、また好きなもの、音楽やその他の調べ物にたくさんの時間を使うようになった。

比率で言えば一日の50%、だいたい12時間程度を仕事とそれに類する活動に費やし、睡眠時間と趣味・食事の時間がそれぞれ6時間ずつ程度。
おそらく熱心に仕事に打ち込む人よりも、熱心に趣味に打ち込む人よりもどっちつかずな割合になっているように思える。

このどっちつかず感はときにフットワークの軽さになり、音楽を作りたいときには仕事を削り、仕事に注力したいときには趣味の時間を削るというかたちで僕にとっての自由な時間は実現されている。もちろん、会いたい人には会い、行きたい場所に行き、欲しいものは手に入れる。働き始めて2年半、これらは何も変わっていない。


気づけば就労環境を変えて4ヶ月以上が経つ。新しい職場は周囲は概ねみな頭が切れる人たちで、これまでの人生にないレベルの高い環境に身をおく生活は刺激的かつ居心地が良い。ハッとすることが多いし、ハッとすることを好む環境に思える。
慣れないホテル暮らしの時間の使い方も、映画という新たな趣味を発見することで充実させることができている。ホテルの部屋の空間を満たすには映画くらいの情報量がちょうどいい。

平穏というのは僕にとっては自分の居心地のいい環境に身をおくための活動の成果であり、毎週500キロ余の距離を往復する身体が落ち着かない生活を続けている中でも、今とても平穏を感じて過ごせている。余談、地球の外周が4万キロだから40週間、1年弱続けると新幹線で地球一周してしまう。

平日は20時までの退社を目標に精一杯働き、週に2回ほど簡単に筋トレをしてサウナで汗を流し、映画を見る。2時までに寝る。週に1回は誰かと食事をともにする。金曜日は夜更かしをし、週末は一番気心の知れた人とゆっくりと過ごして、日曜の夜はシャツにアイロンをあてて靴を磨く。

継続的な平穏は実は穏やかな冷え込みなのかもしれないけれど、いつまでこの平穏が続くかはわからなくなったいま、一度記録しておきたい。

 

◯恥は甘んじて受け入れよう

 

最近は17歳から22歳、高校生から大学生までの時期の総括を終えて次を考える時期に入っている。

自分の趣向の移り変わりや本質的に求めていたものについて俯瞰的に眺めると、散らばった点のようで実は傾向を示していたことがわかる。

大学生のときにYuckのコピーバンドをやっていてよかった。

セレクトショップを毛嫌いしていた自分が本当に嫌いなのは実は見栄えの良い部分だけを切り取って文化として紹介しようとするカルチャーだった。

音楽制作は僕にとって、文脈の中で作られた好きな楽曲を文脈から切り離して、単純な音の要素として捉える確認作業を土台として、その上でせっかくだから再構築するか、という活動であった。承認は副産物でしかなかった(はず)。

高校生大学生の頃に映画を経験しなかったことで得ているもの、得られなかったものがあるように思う。本質は個人単位の経験の集合と再拡散なのかもしれない。映画における作品性って中田ヤスタカでいう歌みたいなものなのかもしれない。